140字では書けない

アラサー異常独身男性

2019.7.3(水)

これまでの怠惰な生活で狂った睡眠リズムを治すため、夜しっかり眠れるようにするため、日中は家の仕事で体を疲れさせようと思った。
昼食を食べてから庭の草取りをしたが、1時間半やってみただけで腰が痛くなったので予定エリアの半分で断念。ジジイかよ。
以後はいつものようにだらけて過ごすことに。。
で、なぜか日付が変わってもクソみたいな日記を書いている。そろそろ寝ないといけない。
 

 

そういえば、午前中はまた伯父が家に来た。
(以降は普段私たち家族が使う伯父の呼称である「おじちゃん」を原則として表記に使う。)
祖父が亡くなってこれで1ヵ月経つが、おじちゃんはどうでもいい用事で私や父にいきなり頼み事をしてくることが多くなり、少しうんざりしていた。
今日も来たので「またか」と思った。
今日は何かというと、おじちゃんが65歳になるということで、市役所から高齢者を対象に肺炎球菌予防接種を受けるよう案内が届いたようだ。
接種は無料ではなく、市が一部負担するようだ。それにあたって申請書類を出さなければいけないが、届いた案内には市役所か保健所の窓口、またはWebから申請書を入手してくださいとだけ記載されていた。
おじちゃんと祖母の家にはネット回線が引かれていないデジタルデバイドな世帯だ。Webからの入手は自分でできない。
そして、おじちゃんは車も運転できていない。祖父が亡くなってからのこの1ヵ月、メンタルの影響で平衡感覚がおかしくなったと言って、運転を控えている。そういうわけで、私たちにWebから資料を落とすのを頼みに来たというわけだ。
 
逐一日記には書いていないけれど、先週にはおじちゃんの買い物に付き合った後、しつこくパチンコに行こうと誘ってきて、
断り切るのが面倒で辺鄙なパチンコ屋でエヴァのパチンコをやらされたりした。
パチンコは一度きりだが、食材買い出しやタバコを買ったりなどの用事に付き合わされたのは休職してから数えきれない。
確かに祖父の葬儀直後は疲労が重なり体調が悪そうだったので、こちらは進んで協力してきた。
しかし、顔色も大分よくなり、よっぽど元気になったであろうと思われる今でも、しょうもない用事で父と私を尋ねてくる。
身も蓋もない言い方をすれば、祖母と不仲で孤独な高齢男性であるおじちゃんは寂しまぎれに家に来て、私たちは彼の話し相手をさせられている。
 
朝早く我が家のインターホンを鳴らしておじちゃんが言った用事を紹介する。
ガラケーにある写真のデータをメモリーカードに入れたい」
「前に買ってくれたパソコンにWordライセンスを入れてほしい」←私が翻訳済み。伯父はITが弱い。
「忌明けまでは神社に近づくな」←??? 
 
他にもいろいろあったが、話を聞けばすぐに解決しなければならない用事は殆どなく、
なんでこのタイミングで言ってくるんだよということばかりだった。
同居している祖母からは電話があり、祖父が亡くなってからメンタルの調子が"また"悪化したようだから気をつけて、と忠告が入ることもあった(私たちへの忠告だけじゃなくてなんとかしてくれよ)
詳細は書かないが、おじちゃんはメンタルを昔から病んでいる。あまり強くは言えない。
 
 
伯父は紆余曲折を経て、生涯独身のまま高齢男性となった。
人物像を例えるとすると山月記の李徴だ。有名なフレーズである「尊大な羞恥心と臆病な自尊心」と断じるくらい私は偉い人間ではないし、彼の人知れぬ苦悩は数多くあっただろう。だが、結果としては伯父のそういう特性が青春期の躓きをもたらし、
それを精神病に無理解な周りがサポートできた訳でもなく、高校卒業後から一直線に続く日本社会のキャリアレールからは脱線するに至った。
職場を転々とし、酒に溺れ家庭内暴力に向かった。
年齢を重ねるごとに落ち着きを取り戻したが、働き盛りの40代から仕事を辞め、以降はフリーターのような生活に落ち着いた。 
以上の経緯は父の口から聞いたことは一度もなく、母からこっそりと教えてもらったことだ。
 
 
はっきり言ってしまえば、私たち家族からはおじちゃんは憐れみの対象だ。
その視線に気づいているのかいないのか、分からないけど。
私たちには気のいい伯父に見えるようおじちゃんはやせ我慢をし、私たちもそれを受け止めてフレンドリーに接している。
けれど、彼が話す言葉の端々からはこれまでの人生のコンプレックスが隠しきれていない。あまりに挫折が多く、成功体験が少なすぎた。
父は兄であるおじちゃんを無下に扱わないが、決して積極的にコミュニケーションを
取らないことから、何となく間柄は察した。
自分も将来は親類から厄介者扱いされる、こういう存在になるのかもしれないと暗澹たる気持ちになったこともある。
 
 
それでも、おじちゃんを悪い人と突き放せない。
私がうつ病で休職して実家に戻ってすぐ、おじちゃんから車を出してくれと頼まれたことがあった。
2人でクルマに乗り込み走り出してすぐ、おじちゃんは「実は病院は行かなくていい。コンビニでタバコとコーヒーを買いたい。」と言い始めた。
(さっさと帰って米国ETFの勉強がしてぇ…)と思いながら、コンビニの駐車場でおじちゃんを待っていると、コーヒーを2人分持ったおじちゃんが出てきた。
おじちゃん「はい、今日のお駄賃」
私「え~ありがとう~!!」(これは私を呼び出すための作戦だったと今更気づく)
 
おじちゃんは私のメンタルの状態を心配してくれていた。
車が運転できるなら軽度だな、しっかり休めばすぐに復帰できるぞ!と励ましてくれた。
そして、詳細は書かないがおじちゃんの青春期に患ったメンタルの病気と、その原因の出来事を話してくれた。
父や祖父母にも話したことが無かったという。何十年も胸に抱えたトラウマを話してくれて、私は嬉しかった。
私は「親兄弟だからこそ気を遣って話せないことがあるもんね」と分かったような台詞を言ってしまったが、おじちゃんは「〇〇も大人になったなぁ」と笑った。
田舎かつ精神病に理解のない時代におじちゃんが周囲から受けた冷遇は、私には想像しきれない。
話してくれることで、少しでも楽になってくれればいいなとその時思った。
おじちゃんが打ち明けてくれたことは墓場まで持ってくよと伝えると、「いや、お父さんにだけは話していいよ」と言われた。
しかし、父には言い出せずにいる。知ってもおそらく拍子抜けするだろうし、そのことによって何も事態は好転しないだろうから。
 
 
翻って、我々の世代は苦しみを"シェア"できて、揶揄されることはあるが「お気持ち表明」もできる素晴らしい時代に生きていると実感する。
私は人生は挫折ばかりだし、ミソジニーは発言の端々から滲み出ていると自分で気づくことが増えた。けれど、SNSインセル一歩手前のようなヤバい奴を見て軌道修正ができる時代なんである(共鳴して同調する方向に行く危険も孕んでいるが)
 
ここまで書いてきて特にオチは無いのだけれど(すみません)、
コンプレックスを感じさせる発言をする他人ほど面倒なものはないし、
我々は自己を振り返ったり、悲しみを共有できる素晴らしい時代を生きてるわけだから、もう少し「まっとうな社会」でペルソナを維持して窮屈にでも生きていきたいと思ったし、私はそれができるだけの恵まれた自己正当化メンタリティは持っているなと思います。
休職してみて、自分は他人より図太く自己正当化メンタルを持っている人間ではないかと気づかされました。はい。そういう面はあるかもって思ってた人はSNSで教えてください。早く言えよ、なぁ?(パワハラ気質)