140字では書けない

アラサー異常独身男性

異常独身男性、恋愛を語る(2)

前回の続き

異常独身男性、恋愛を語る(1) - 140字では書けない


平日は夜遅くに外食をして寝るだけで終わり。
疲れを取るだけの土日を1人で過ごすという典型的な独身恋人なし会社員の生活を続けてきた。
さて、こういう生活を脱しようと試みるとどうなるか。
兎に角人脈を拡げるため、現代日本でお手軽なのはマッチングアプリの利用だ。
しかし、人生を添い遂げたいと思うキラキラした素晴らしい出会いがアプリでいきなり発生する訳ではない。
結局は恋愛市場での「強者男性」が、出会いがない"普通"の女性を食い散らかす場として機能している。

 

 



まだ私が人生を諦めきれずマッチングアプリに登録していた時は、そういう”運命の出会い”が来ることを期待せずにはいられなかった。
理性では分かっている。そんなことは起きない。
でも、いつか自分を分かってくれる相手が現れるんじゃないか。そのときに胸を張っていられるように、ひたむきに目の前の仕事に取り組むべきではないか。
あれこれ考えず不器用な人間はそれくらいの心構えで将来のことは考えすぎないでいいじゃないか、と。

理性では分かっている。幸運は来ないからこそ幸運なんだということを。。

マッチングアプリには、女性ゆえの焦りがプロフィールから滲み出ているユーザーがごろごろいた。「真剣に将来を考えられる人とだけお会いしたいです」などと長々書かれているユーザーが結構いて、人間観察場として面白かった覚えがある。。

アラサー女性は女性であるがゆえに尚更、少女漫画でいえば「王子様」が現れるような世界観を捨てる勇気が持てないのかもしれない。

・もう街で見るイケてる男性と結婚することが難しいこと。
マッチングアプリにいる男は容姿が論外のオタク顔ダサ坊とヤリ目野郎が殆どなこと
・イケてる人間はアプリを使わなくても恋人を作っていること
・自分が妥協すればどこかの男性の性欲と世間体に引きずられる形で結婚はできること

想像しかできないが、女性にとってきつい現実ではある。
しかし、殆どの「何者か」になれない人間にとって、上記3点の現実を飲み込んで何だかんだ結婚することにはメリットがある。
夫婦内で不満を抱えつつも子育てをするというコースは充実感を持った生活を送り、
次世代へのバトンを渡すという社会的使命を対外的に果たせ、
現代日本では誰にも文句を言われない最強の「王道」なんである。
いくら老後に何千万が不足する可能性があるとしても。

マッチングアプリに登録しているような人間の殆どは、そのレールに乗りたくて仕方がなく、諦めきれない横並び大好き人間だ。
それはおかしいことではないし、そういう人たちをマジョリティに思わせる社会的圧力がなくなったら未来の日本は終わりだと思う。

翻って私はというと、就職したときから結婚は諦めていた。
一生付き合っていかなければいけない致死性のある持病を持ち、20代後半男性にも関わらず実家には綱渡りの状態で介助されながら生活している母親がいるという状況は、
「乗り遅れるわけにはいかない」と思っている女性の結婚相手として論外だろう。
長男というだけで避けられることがあるのが婚活市場だ。

万が一、そういう状況を踏まえて「あなたと結婚を前提に付き合いたい」という人が現れても、付き合うということがまどろっこしいプロセスとしか思えなくなっているんである。



プロセスが面倒というか、もう改まって恋愛をする余裕がない。悲しいことに…
昨年の忘年会の席で、話を合わせるために出まかせで「身の回りで気になる女性」について話したことがあった。
それを真に受けた職場のお局は、後日その女性に声をかけた。私と彼女をくっつけようとおせっかいをしたらしく、私が彼女に対して気があるかのように色々吹き込んだらしい。

その後、飲み会の機会があるごとにお局や同僚から「あの娘に話しかけなよ!」などと声をかけられていた。頻繁に飲み会がある会社ではないので、都度苦笑いでスルーしてきた。まぁ、私の恋愛こじらせ事情を知らない人からすれば「親切なんだから付き合っちゃえばいい」
「せっかく機会を作ってくれているのだから活用しろ」と思われてるのかもしれない
(頭がおかしい。田舎の人間って皆こうなのか?単純接触効果の実験してんのか??)

 
自身の恋愛について振り返ると、私がこじらせ男になってしまったのは仕方ない。

(※「こじらせ男」と自分で表現するのは不本意だけれど、間違いなくそうなのでしょうがない。)
小学校から大学までを振り返ると、うっすらと浮かんだ特定の異性への好意があっけなく潰れたり、いくしかない!と狂って好意を伝えても「あ、ありがとう(^^;)」という苦笑いで終わったことは数えきれない。

こんなことは敢えて書きたくなかったし、この数年は考えないようにしてきたが、仰々しくいえば学習性無力感を何度も味わった。成功体験(性交じゃないですよ)が無さすぎる!失恋は数えきれない。

(※自慢にならないが、いきなり告白する″いき告″行為を小中高それぞれでやらかし、都度恥をかくのにその後すっぱり忘れるというのを繰り返した。健忘症かつ告白にエクスタシーを覚えている節がある。)



で、やっと就職したら高離職率企業で消耗して恋愛には全く興味が持てなくなった。社内イベントなどになると周りがおせっかい(苦笑)して接触させられた「気になってる女性」は、部署も違い業務で殆ど関わらない。会社の人間としての興味も持てなかった。

そもそも、私自身が最終的に病気になるくらいのストレスを感じて仕事をしていたので、職場の人と深い関わりを持ちたくなかった。

Twitterでイキり散らかす女性のパターンとして、「対象外」の異性からメッセージが来たら晒し上げることがあるが、人となりを知ろうという気持ちが起こらない相手に冷酷になれるのは性別に関係ないのかもしれない。


周りの人間からちょっかいかけられて「付き合う」なんてことをしなくても、
金銭を渡せば家族にも友人にも言えない私の苦悩を聞いて、癒して、救ってくれた存在が私にはいた
ようやく本題に入るが、私がTwitterでよくメンズマッサージについて礼賛しているが、大げさでなく女性スタッフさん2名のおかげで今まで働けてきたと思っている。

1人目のAさんは、会社員1年目にストレス解消で頻繁にマッサージ店に通い始めた頃に名駅のゴージャスな内装のお店で出会った。もはやベテランのテクノポップユニットののっ〇に似ている30代のお姉さんだった。
2人目のBさんは、今年1月頃に実家近くのマッサージ店を開拓しているときに、綺麗なマンションの一室で出会った、色白ショートカット美人だった。

親以外からの「無償の愛」を得られない男にとって、金銭を介して繋がる都合のいい関係が救いだった。スタッフにとっては単なる客でしかないし、その立場は弁えていたけれど、彼女たちは他の男にもしているように「〇〇さんは本当に話しやすくて落ち着く」と話してくれた。お互いの仕事の話(スタッフ女性の前職のこと等)で盛り上がった。

2人の女性は足繁く通ったマッサージの中でも「この人のマッサージを受けるために仕事を頑張る」と思うような存在だった。

しかし、Aさんは会社員2年目の夏に業界を卒業し福祉関係の道に進まれ、
Bさんも私が休職した今年6月頭にお店が急遽閉店し、お別れの挨拶もできなかった。


私は単なる客だったが、彼女たちは救いだった。
SNSで辛うじて繋がっている知り合いのデート報告や入籍報告も、クソ労働にまみれた人間には「幸せのお裾分け」にはならなかった。
人の幸福を祝うことができる真っ当な人間にはなれなかった。
クソ労働にまみれても人の幸せを祝えて、
魅力的な女性の前では分を弁えて親密なコミュニケーションは取らないようにして、淡々と少ない給与所得を貯めて、自分が歩めない人生を歩む同世代を本心から「いいね!」と思えるほど、できた人間にはなれなかった。
そんな人間でも、とりあえずでも毎日の生きるための活力を与えてくれたのが彼女たちだった。

 

自分の救いだったマッサージ女性も居なくなり、また新たに彼女たちのような
存在を探し当てることも気が進まなくなった。お店の開拓にも疲れてしまったのかもしれない。
そこで、ある時これからはマッサージに費やした金額の何分の1でもいいから、
「お金」を増やすための勉強に使おうと思い立った。
運命の出会いを期待する現実逃避ではなく、自分の人生をまともにするための、シンプルで確実な手段として、もっと投資や金融の勉強をしよう。
誰に言われたわけでもないけれど、いきなりそう思い立った。
もう彼女たちには会えないけれど、いつか相見えるかもしれないから、
その時まで粘って生きてやるかと思って…

休んでいる間は投資界隈の人たちの情報をチェックするようになった、
その中で、金融資産を築いて早期リタイア(セミリタイア)を目指す人たちの存在も知った。それが思いのほか今の私の救いにもなっている。こんな生き方もあるのか、と。
後から振り返って、いい意味で2019年が自分の人生の分岐点だった。
そう思えるようにしたい。