140字では書けない

アラサー異常独身男性

平成の終わりの東京

数年後、殆どの若者から見れば歯牙にもかけられない気持ち悪いおっさんとして、僕はみなされてしまうだろう。

そうなった時、記憶の風化で「昔は良かった」とか「若いというだけで素晴らしい」などと青春期を回顧しないように、
「昔は昔で酷かった」と気づけるよう平成の終わりを記録する。







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クリスマスの約束

母親が出先で倒れて、明日でもう3年になる。

救急搬送され、大手術をしてから命は取り留めたが、重度の後遺症を背負い「生きてても何も楽しみがない」と言われた。

どんな回答をすればよかったのか、
未だ僕は分からない。

くたびれた身体を癒すため、銭湯に寄って、
入浴後に脱け殻状態でスマホを触っていた。
するとテレビから小田和正の歌声が聞こえた。

そうか。「クリスマスの約束」か。

母が好きな番組だった。
そこから連想が始まり、明日で母が倒れて3年経ったこと、辛辣な言い方をすれば脱け殻みたいになってしまったことを思い出した。


今の母親は、記憶能力こそあれど、何かに感動したりすることがあるのかどうか怖くて聞けない。

少なくとも、本人の口から聞いた覚えは一回もない。




結局愚痴になるけれど、人生は短いのに人が辞めまくる田舎の会社に3年もいる理由を考えていたら腹が痛くなってきた。
何でわさわざ自分から「何も楽しみがない」ような状態に人生を規定してしまうのか。
もう。逃げるチャンスは少ないぞ。

えげつない嫌悪のループ

キモおじさんに好意を示された時の女性の嫌悪を恐れるあまり、女性に対して好意を表明しなくなって久しい。
女性との出会いを求めるより、金で性欲を解消する現実を飲み込んだドライなおっさんになったから、高齢独身女性がちょっと仕事を手伝ったからって自分にタメ口で距離詰めてくると血圧が上がってしまう。

距離感、近ぇよババア。

10年後も平日は愚痴 休日はグルメ

僕は刑務所みたいな管理をされたガリ勉高校時代を送ったが、当時僕は欲していたものは、
″今ここからの逃避″と食欲性欲の充実ぐらいだった。

前者については、今の僕を知ってる人には説明不要だろう。「僕はここにいたくない。ここにいるべき人間じゃない」ということをひたすら言い続ける僕の習性は、実は高校から端を発している。

後者については、当時からバイタリティは無かったので、遊びのために隠れてバイトをするほどではなかった。管理教育によるストレスは、目指す受験レベルに対して考えると大きすぎたと思う(東大とか医学部とかではないのだから)


ただただ自尊心を削られ、勉強を「させられている」という、そういう認識から抜け出せなかった。(※1)

どうしても、目指す将来から逆算して今(高校生活であったり会社生活)のあり方を考えることができない無能だったし、今もそうだ。真面目を装っていても、心の底では自身の将来に懐疑的だった。

実際、社会人となった今でも自身の生活の満足を三大欲求の充実だけに置いているのは昔から変わっていない。
この10年間の進歩の無さに震えている。

10年だぞ。
チャラい高校生が真っ当な一家の大黒柱となって働いてたり、母になって奮闘してたりすることは珍しくない。同世代ではありふれている。

翻って、自身は10代の幼稚性を引きずりながら、成人女性不信(蔑視)と少女礼賛思想を強めてるヤバいおじさんになっているが、対外的には年功序列系オワコン企業で働きながら一端の社会人の面をして歩いている。


10年間、僕は何もできなかった。


なぜ誰も興味の無い身の上話を書いているかというと、先日セミリタイア界隈で有名な三菱サラリーマン氏がセミリタイアを実行(退職&移住?)した記事がバズっていて、その中で身につまされる批判を目にしたからである。

直接の引用は避けるが、要約すると

「また若手中堅レベルの社会人が意気揚々とアーリーリタイア宣言して恥ずかしくはないのか?30歳前後でもまだ自分の仕事に誇りがないのはおかしい。自分はキャリア途中で○○士という職種に出会えて仕事の素晴らしさを知った。」


他人のライフイベントに口出しして最後は自分語りかよ!!って感じだが、言いたいことは分からんでもない。

しかし、自分がエネルギーを注げられる職種・仕事を見つけられる人はどれだけいるのか。
そして、天職を見つけるために、今の日本社会で職業人生の前半をトライ&エラーで費やす覚悟のある人はどれだけいるんだろう。

そもそも、情熱を持てる活動を賃労働の中から限定して探さなくともいいという意見すらある(天職は賃労働から探さない)

はっきり言って、仕事人間のイキりにしか思えない。
お前はただ運が良かっただけじゃねぇか。ボケが。





とは思いつつ、僕がこういう人生になっていて、
将来も暗い路地裏を歩く日陰者になる理由の1つには、刺激に対する反応性があまりに違うというのが大きい。

受験も、結局は仕事もそうだったけれど、人はそれぞれに器というものがあるし、その限界を見誤って背伸びをし続けると破滅してしまう。もうすぐ30歳になる頃になってしみじみ分かった。

忌憚なく言えば、退職後に人と関わりたい訳でもなく、移住生活がしたい訳でもなく、ただただ最低限の社会との繋がりを保持してセミリタイアを希望する人なんてのは社会不適合者なんだろう。僕含めて。

そういう特性を持った人間は、今現在の仕事に関係なく逃避するリスクとリターンが釣り合えば実行してしまう。中には公務員やら堅い会社の社員もいるだろう。

結局、逃避が原動力であり全て、みたいな器の人間もいる。悲しいけれど、「逃げる」が活動の全てのような人間が…

例の批判した人なんかには目に入らないんだろうな。


まぁ、入らないように生きてるから仕方ないのかな。


※1
自分からやるのが勉強だよ、という話はよ~く分かってます。色々書きたいことはありますが1つだけ書くと、当時から馬鹿正直に課題をやろうとするような人間だったから会社に入って潰れたんだと思ってます。

普通

恋する以前に普通の男がいないという悩みと原因|minami_it @minami_it|note(ノート) https://t.co/PufFZWIUTD

普通の男がいない、っていう記事を読んだら熱が出てきた。

どこまでも男女はすれ違い続ける。

記事で出てくるような思慮深い人柄かつイケメンがモテてるのを私は人生でついぞ見ることがなかった。

属する集団で上位に位置してれば何でもいいんだ。我々は猿でしかないから。

読書ができない労働者

毎年ノーベル文学賞の発表前にテレビ中継される荻窪のカフェがある。


村上春樹ファンが集う例の喫茶店だ。


学生の頃の私は、そこでテレビ中継されているハルキストに対して「いかにもサブカルくさい奴らやな」と思いながらも
″都会の分かる人たち″への憧憬をしっかり抱いていた田舎者だった。


ここ数年、性感マッサージとグルメだけが休日の楽しみになってからは、村上春樹の小説を久しく手にとっていない。


学生や無職でないと読めない本は間違いなくあるから、学生時分にはきちんと読書すべき、という旨のことを宮崎哲也氏がテレビ番組で語っていた。(※)


社会に出て数年で読書量がゼロになった人間としては、激しく首肯する。
労働を言い訳にしてはいけないが、確実に労働は読書から人を遠ざける。

では、仕事を休んでるときの私の読書の成果はというと、実は全く無かった。
読書数ゼロ冊。

暇なんだから何でも読めよ!という話なのだけど、ありあまる時間を前にしてもマルクス資本論村上春樹の長編を手に取る気には全くなれなかった。

会社には休み中の過ごし方を報告しなければならなかったのだが(どれだけ管理主義なんだ)、読書をしたということにして、適当に図書館や自分の部屋で見つけた本のタイトルを書いていた。
(後から軽く内容を聞かれたときのために、目次と適当に10ページくらいつまみ読みはした。我ながら姑息。)

そして、普通にスマホをいじって、「お仕事訓練」の時間を終えるというのが復帰直前の生活パターンだった。



村上春樹については、休職中に読んでしまうと社会と折り合いをつけながら自分の世界を作っている主人公像と自分を同一化してしまいそうで怖かったから、敢えて読まないようにしていたきらいはある。

本当に折り合いをつけるために必要最低限の業務能力向上であったり、泥臭い改善をすることなく、
春樹ワールドに引きずられて安易に社会のステージを一段または二段降りてしまうような、そんな厭世コースが怖かった。


厭世感はずっと持っているくせに、無能を自覚してるがゆえに保険をかけた生き方から離れられず、病む。ありがちな日本人だ。


そもそも、村上春樹の総じてスマートな主人公と違って、平凡に学業なり仕事なりをやってると平均以下のアウトプットしか出せず、説教されてばかりの人生を送る人間が大半だ。
私も平均以下の人間の一人。


ただ穏やかに生活するためだけでも多大なコストを払わなければならないそういう平均以下の人間が、
自己認識だけスマートで、俗世から半歩引いたような生活をするフィクションに憧れて、
それらを中途半端に実行してしまったら危険だと思っている。

ここで私が言いたいのは、いい歳のおっさんがフィクションと現実の分別できるか否かの話じゃなくて、村上春樹作品が厭世感を揺さぶり一般社会からドロップアウトをさせてしまう毒性を持っているということ。

昔からそう思ってるのは私だけですかね?
たぶん、言いたいことは分かってくれる人がいると思いますが…
例によってオチはありません。おばちゃんの駄弁りか。



※現在は政権の太鼓持ちみたいになった関西の某政治バラエティ番組での発言でした。今じゃ考えられない立派なトークもあったものだ。