140字では書けない

アラサー異常独身男性

侵食

今日は大学の友人達が食事会をしていた。
私は会社のイベント参加があり、食事会の誘いを断った。
どうせ辞める会社での立場を守るために、
上司に「はい、出ます」と答えた。
会社のイベント参加に無理矢理意義を見出だすことができたとしても、大学の友人と再会するほどのものでは断じてないはずだ。
私は単に、他の同期と同じように安易に流されたのだ。

こういうことを繰り返して、退職した時には自分に何も残っていない状態になるんだろう。
人生が侵食されてきても、すぐに対処はできない。

最近は夢にも上司が出る。
寝るときくらい、安らぎが欲しい。
実家に帰って泣き言も言えず、依存できるような恋人もおらず、豆腐のようなメンタルでここまでやってきたのは毎日の早寝のおかげだと思っている。
馬鹿げているが、大真面目だ。

加えて、SNSで異常者レベルの頻度で愚痴ってきたおかげもあるが…
それなのに、睡眠にまで影響が出たら…



もう自分はとっくに功利主義者になってしまって、年齢不相応の書き込みを撒き散らして被る恥より、ストレス解消を優先する人間になってしまった。
あと、自分が万が一死んだときにどういう状況だったのかを記録するため。

自分の選択に責任が持つというのは、その選択による不利益(ここでは労働環境)を甘受し、黙って身体が壊れるまで労働しろということなんだろう。
あまりにも馬鹿げている。

自分の選択に責任を持たないのは当事者意識がないからダメ、みたいな言説って、当事者意識をまともに持ったら死ぬ生真面目な人間のことは何も考えてないし、話の全てが個人の責任に収斂していくからどうしようもない。
個人の責任、で済んだら「クソ社会」を対象にする学問は存在しねぇんだよ!

はぁ、推敲する気力もない。
近況ですが、最近はBI(ベーシックインカム)導入派と暗号通貨関連のアカウントばかり見ています。

自動車購入の煩わしさ

社会人となり半年以上が過ぎ、やっとマイカーを購入しようとしている。

社会経験が年齢に伴っていないオタクなので、
中古車購入時に提出する書類の用意がこんなに面倒だとは思わなかった。

平日に仕事を調整(フレックス等)し、車庫証明等の手続きをしないといけない。

ヒューマンスキルがないので、″お休みをいただく″ための根回しが面倒である。
現在研修中でフレックス勤務が適用されない部署にいるため、研修中に休むのは非現実的である。
配属後早々″ご配慮″をいただき、休ませてもらうしかないのか…

先週も諸事情で土曜が潰れ、今週も土曜が自動車購入と野暮用で潰れてしまった。
社会人は忙しいのだから、どうせローンを組むなら入社前に購入しておけばよかった。

…いや、そもそも日本人は働きすぎなんだよ。根本的に…
ブログを書きながら眠たくて堪らない。でも行き場のない怒りを文章にぶつけた。いつにもましてまとまりがない。無理。

同期くん

自分の話を延々としたい同期くん。週明けに皆の週末の過ごし方を聞いてきて、それに答えると屈託ない笑顔で「なんで?」と言い放つやり取りを何度も何度も繰り返してきた。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いということで、彼のあまりにも敬意を欠いたコミュニケーションが憎い。

自分の前座として、申し訳程度に週末の過ごし方を聞いているのか判らないけれど、
休みの過ごし方に「なんで?」って訊くのはやめて欲しい。
あの忌まわしい記憶――30社もの企業で人生での選択について明確な目的と理由を答えるイベント――を毎週思い出させないでほしい。
なんで?じゃねぇんだよ。面接官みたいに理由を聞くな!全ての行動に目的ないとダメなのか??

休みの日にすることなんて、目的化した手段(行動)もあるし、気ままな過ごし方だってあるし、説明も馬鹿馬鹿しいくらいの些事だってあるんだから…

女遊び卒業(2)

前回の記事はこちら(10/9に大幅に加筆しました)
(前回のあらすじ)
積み重なった疲労とトドメの金曜残業で気持ちが無理になっちゃったので、退勤後スケベマッサージ屋に直行したお話。

applefactorz.hateblo.jp

 

 ・・・上手い。エロくはないが(ここ、後から言及します)、上手い。
私はマッサージの素人だから、これまでの女性スタッフと比べて施術がどう違うのが言葉にはできないが、性感を抜きにしたマッサージの心地よさは過去最高だった。 

 

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会社文化へ適応するだけだったら高卒でもできる

断言口調のタイトル、浅黒いフリーランスブロガーが書きそうですね(該当人物がいるかは知りません)
こんな長文をよく金曜夜にスマホから打ち込んだと思う。どれだけ怨念が溜まってんのか…



入社して半年が過ぎた今、これまでになく会社が嫌になっている。
古い会社特有の体育会系コミュニケーションと、若手にまともな発言権がないトップダウン体制。
それらは夏までも経験していたはずなのに、入社半年を経てそれらに自覚的であろうとした結果メンタルが揺さぶられている。

楽になりたいなら、体育会系風土に慣れる努力をすればいい。
しかし、それに適応したら終わりだと思っている。普段は業務もあり本心を隠しているが、内心は適応を拒んでエネルギーを消耗している。

なぜか。

強烈トップダウン体制に適応するだけだったら、中学時代や高校時代の自分でもできたと思うからだ。
もっと踏み込んで言うなら、時代遅れの企業文化に適応するのは大学での学びや気づきを捨てることに等しく、大学で得たものを簡単に捨てたくないと思っているわけだから、適応なんか出来るはずがないのである。

秋になってから茨木のり子(詩人)の「自分の感受性くらい」を何度読み直したことか。
環境適応しきってしまうことに、私は心底怯えている。


トップダウン組織での従順性は運動部(陰キャラ多し)で先輩に小突かれながらやりきった中学時点でそこそこあったと思うし、高校時代は比喩でなく担任のトップダウン体制下でガリ勉していたので、
高卒で就職してれば環境適応は難しくなかっただろう。

大学で得た物事への見方やイデオロギーに自覚的になったことを死ぬまで「財産」と仰々しく抱えるつもりはない。
しかし、高校まで従順性しかなかった非力な自分にとっては、大学での学び・気づきが大学以前と以後の自分を異にする重大なファクターであることは疑う余地がない。

繰り返しになるが、時代遅れの企業文化に安易に適応するのは、
親の援助で過ごした大学時代での学びや気づき・感性をさっくり捨てるに等しいのだ。
それでいいのか?会社とはこういうもので済ませて、大学時代に学んだプロジェクトマネジメントや社会システム論などの
教科書的知識(実務者は鼻で笑うだろうが)を無にしていいのか?

企業文化への適応を批判的に捉えるつもりはない。
しかし、独りで死ぬ運命の人間が25歳で会社に殉ずることを決める意義なんか、今の時代にあるはずがないんだよ。どう考えても。


とにかく、今の自分のように環境に不平を言いながらも会社では黙って働く大卒になるために、親の進学援助があったとは思えない。
年収なんて低すぎなければどうでもよく思えてきた。真剣に環境を変える準備を整える。