140字では書けない

アラサー異常独身男性

職業観・人生観

ようやく就活終了しました。
今月上旬に内々定を頂いて、当初は残りの休みを大切にしようと考えて就活を終わるつもりでした。
しかし、就活で性格がますますひねくれて、
「ボロボロになってやっと決まった1社に変に期待をしても、どうせ裏切られるんだろうな」とか、
「結局自由応募でのメリットを享受しないまま就活終わるのか」
と考えたらダークサイドに落ちてしまい、1社だけは選考を受け続けてました。
色々理由があって、後に決まった会社に入ることになりました。

 


就活は99%はしょうもなかったですが、仕事に熱く取り組む社会人(人事)の人と交流できたことが数少ない良い経験でした。
ある人事の方には、面接担当者である前に1人の人間として、私に仕事観についてツッコミを貰えたのは自分の財産になりました。その人事の方と将来のキャリアや職業観について熱く話し合ったことを今でも思い出します。(結局その企業の選考は辞退することになったのですが、そこで自分の仕事観が1mmくらいは固まったかなと思っています)
辛いことがほとんどでしたが、仕事に熱い「先輩」に出会えたことは本当に幸運でした。

就活を終えて思うことは、これからの人生は自分のダメさに開き直って、適度に遊びを持ちつつ生きたいというのが正直なところです。
バリバリ働く社会人には自分は逆立ちしてもなれないと思っていますし、ならなくてもいいと思ってます。
どんなことであれ自己変革に取り組む社会人は尊敬しますが、
就活で意識高い話を聞きすぎたせいか、どこかの企業の説明会のように
やたら自己成長ばかりに意識が向くのも馬鹿らしく思えてしまうんですよね。
「(自分が落ちた会社の社員のような)実力ある人間にならねば」と考えると、コンプレックスだけで自分を動かしてきた浪人までの人生の繰り返しになってしまうという確信があります。
というのも、就活をしながらずっと後悔していたんですよね。ひたすら根性主義で愚直に取り組む努力よりも、もっと自分にとって楽で、簡単に結果の出せる分野を探す努力をしておけば人生を消耗せずに済んだ、と。

 

「今でしょ」の林修氏が言っていましたが、自分が死ぬほどの努力をせずとも結果が出せる分野があれば、そこで戦うべきですよね。
私は青春期に自分のベクトルを模索するというアクティビティが圧倒的に足りなかった。
高校で既にアプリ開発とかやってたり、高専とかでロボコンとかに取り組んで目標持って大学に編入してきた人などと比べ、自分は本当に受け身でした。
外圧によってする努力ではなく、自発的にする遊びや趣味の経験が自己理解の全ての土台になるのに、私はただコンプレックスだけで勉強して莫大な時間を失い、
自分が獲得できたのはあって当たり前の勤勉さだけでした。

高校生だったときは自分なりに一生懸命に過ごしていたつもりでしたが、
学校での厳しい勉強生活に耐えるために、努力そのものを尊ぶ甘い姿勢を作ってしまったなと思っています。

 

長い日記になってしまいましたが、以下にまとめます。
まともな人間になるための人生経験を削って10代後半を過ごしてしまったが、
犠牲にした時間の分だけの社会的リターンは手に入れられなかったし、今後も手に入る見込みも薄い。これが自分の現状認識です。

この認識に立って、出世を目指すわけでもなく、家庭を守ることもない虚弱な人間がどのように生きればいいのかを考えながら、学校生活を過ごしています。
漠然と「市民協働」的な活動に関わりたいという気持ちがあるので、人文系の教養を
つけたいと思っているのですが、今は卒研で手一杯です・・・