140字では書けない

アラサー異常独身男性

記憶の変容(改訂版4/27)

授業で書いたレポートを貼り付けて、ブログ更新←

した奴を改訂しました(4/27)

 

記憶の再構成

記憶とは過去の再現ではなく、現時点における過去の再構成である。と学んだ。

これは、思い出す(検索する)ときに出てきた記憶に最新のスキーマが追加され元の記憶が変容することだ。

例えば、ある人が何回も話した武勇伝は、少なくとも思い出して話した回数だけ再合成された記憶となっている。

実は私はこの内容とほぼ全く同じと思われることを既に怪しい自己啓発本で知っていた。

その本は「過去に縛られるのはやめろ。過去は変えられる」と書いてあった。これはもちろん過去の事実を変えられるといっているわけではない。

著者曰く、我々が過去と思っているものは多くの部分が、昔の出来事への「解釈」であり、その解釈は現在の状況によって書き変わる、だそうだ。

例えば、現在は成功した経営者が過去の不遇の時代を思い出すとき、それは「下積みの時代」であったと本人がみなす、というような話である。

 

これは私たち学生には馴染みある事柄ではないかと思う。

私たちが受験の失敗などを「マイナス」と解釈している場合、失敗しなかった輝く未来への妄想が必ずセットになっている。

だが、この解釈は固定されたものではない。考えてみると、失敗しなかった自分、もう一方の道に進んだ自分、という妄想はたいてい今よりも恵まれていることを前提に妄想が膨らんではいないだろうか?

これは以下のプロセスから妄想が作られると考える。

1.「失敗」への解釈が今(不遇)を基準にして解釈(記憶)が再合成・強化される。

2.「失敗しなかった自分」への妄想が上でできた解釈と一組の、鏡像のように生成される。

 

過去の「失敗」した事実→マイナスの解釈

失敗しなかった場合の世界→プラスの解釈

 

我々が「失敗」と思っている過去は過去そのものを認識してそう判断している訳ではない!!

必ず「今」を基準にした対比が行われている。

授業の内容を踏まえて書くと、私たちが現在進行形で持っているネガティブなスキーマが材料となり、検索された過去の「失敗」に対する「解釈」はマイナスに再合成・強化される。

つまり私たちの「過去」とは現在のスキーマと都合がいい形で強化or再構成された産物に過ぎないのではないか?

 

だから今が幸せだと思っているとそれに都合のいいように過去の記憶が変化するのだ(失敗したけど結果オーライだよ、と考えてしまう)

 

私は今現在が苦しい時に「過去は変えられる」と考えるようにしてきた。今回は授業で記憶が現時点での過去の再構成だと分かった。だからこれからは、調子がよく上手くいっている時は過去を出来るだけ正しく振り返るために「過去は変わってしまう」と考えるようにしたい。