雑に振り返ります。元となる日記は7ページもあります。
資源の無駄使いだと思いますが、ものすごく暇な人は読んでください。
病んでいるのを言い訳にしますが、死ぬほど文章が読みにくいです。すみません。
参考画像:残業時間の推移
2018年4月~2018年6月
4月
- 同じチームのNさん(仮)が別グループに移った。同じチームのTさんが1月に親会社に出向し、戦力が不足しているにもかかわらず。
- なぜこのタイミングなのか理解できなかったが、少なくとも入ったばかりの中途社員のNさんを異動させたのは役員の意向などではなく、一番現場に近い管理職である部門長だというのは分かっている。
- 部門長は「このチームではもったいない」という言い方をしていた。たとえそうでもタイミングを考えろと今でも思う。納得いかない。
- Nさんが移ったグループで2年前から働いていたSさんが退職した。退職理由は聞けていないが、この会社の残業体質・過剰に仕事が割り振られていく風土・それを直そうとする自浄作用が機能していないことを理由に会社に見切りをつけたという認識は皆持っていた。
- 自分の仕事が回っていない中、Sさんの送別会を企画するのは負担だった。
- 会社に対して愛想をつかした人に対して、新天地で移った直後に会社のあるエリアに呼び出して、わざわざ送別会に参加してもらうことにどれだけの意味があるのか。
- 会社に残る人間がとりあえず気持ちを整理するためだけの、一方的なセレモニーとしか思えないし、善意にカムフラージュされた時間泥棒としか思えず、それをTwitterで書いてみたら「やる意味ないよね」とコメントを貰って、自分の認識が間違っていないことを確かめた。
- たまたま幹事経験が不足していて、その送別会後に役職者がグチグチ嫌味を言い、2次会に私を強制連行した。幹事ができないことの背景に「女性経験の不足」を挙げられ、おっパブに連行された。それがGWを控えた金曜夜のことで、解放感は全くなく、帰宅してから泣いた記憶がある。ズタボロの4月だった。
5月
- 先送りされてきた仕事のツケを若手2年目が払うことに。
- そもそもベンダーの力を借りるべき案件なのに、新人に丸投げしたことは今でもおかしいと思っている。
- 多くの理不尽な叱責があったが、多くの人の協力と犠牲があって、プロジェクトマネジメントごっこを自分が進めることになった。
- この時期に、「人員が減っているのに抱えてる業務はそのままで、難易度高い仕事を進めているのに、業務が回っていないことを一方的に個人の問題のように責め立てられるのはおかしい」として見切りをつけるべきだった。
- プライベートとしては、GWに電車でいきなり長野を一人旅しました。
- 思い付きで行くのも楽しいけれど、ローカル線各駅で7時間はえぐかった。
6月
- ほぼ上の状況のため省略。
- もはや忘れていたが、隣の部署のAさんが退職。若手中堅社員の退職ラッシュの始まり。自身も実感しているが、辞めてしまった人のことはあっさり忘れるんだなと実感する。
2018年7月~2018年9月
7月
- 中学時代の同級生の女性と再会し、食事をする。
- 向こうから同窓会の案内をしてきたので、とりあえず積もる話もあるということで食事に誘った。
- ネットワークなビジネスに勧誘された。学校を卒業すると、キモオタクは詐欺と営業にしか女性に声をかけられないのを痛感しました
- 退職ラッシュ2人目。とんでもない会社だ。
- 歓送迎会をまたしても企画したり、業務がカツカツであったりして、残業は上限ギリギリ。
8月
- ストレスと夏バテで体調を崩す。同じタイミングで派遣さんが体調を崩し、上司が心配し始める。本当に「現地現物」でしか動かない。このころから、疲れを隠せない私に上司が「来月から人が入る」ということを言うようになった。
- ちなみにそれが3ヶ月続いて、人が入ったのは2019年初めからです。
- メンタルクリニックで診断書を貰うため、どういう形式がいいかなどを医務室に確認したら、保健師に話をはぐらかされ、「まだ君は論理的に話しているし、睡眠もとれているし」などと言われ、揉み消された。
- クリニックが営業時間にもかかわらず電話がつながらない。また、つながっても予約が数か月待ちで、とりあえずロキソニンと日光浴と休息だけでなんとかした。おかしいと思う。
- 中学の同窓会(非公式)に参加した。その時のことはこちら
9月
- 上映期限ぎりぎりでペンギンハイウェイを見た。久しぶりに三大欲求の充足以外の休日の過ごし方をした(映画を見るだけで振り返りに書いてしまうくらい、他の時期には何にもしていない)
- SNSでバズったことよりも、メタファーがいっぱい詰まってて余韻が残る映画でよかったです(小学生の感想)
- 退職ラッシュ3人目。
2018年10月~2018年12月
めんどうになってきたので、まとめて記述します。
- 上司は人が入ると唱え続けている。
- 社内イベント準備と歓送迎会企画でヘイトがたまる。昨年もこの時期は、来年こそは参加募集前に辞めるという思いだったのに。
- 真面目に今年はもう耐えられない。準備をやらされるくらいだったら、間違いなく辞める。
- 10月は残業50時間超え。全力で超えないようにしたが、及ばず。
- 11月は大学祭に参加。同期と近況を話し、メンタルを回復させる。元気そうでよかった。卒業生の公演では、発表者が結構な割合で3年未満で新卒で入った会社を辞めていて苦笑する。意外と生きていけるやんと気が楽になるけど、わざわざ大学から声がかかる人を集めているのだから、生存バイアスなんだよな。
- 11月末は後輩と研究室の先輩と食事に行って近況を話す。
- 12月はCPU不足によるPC調達業務への影響が大きく、胃が痛かった。
- 忘年会準備で土日が消えた。忘年会は無難に終わった。今年一年は偉いおっさんが目くじらを立てないイベント遂行スキルだけがついた。当日は二次会には行かず、別グループの同僚のおじさんと飲みながら「今が一番の辞め時だよ」と言われるなどしていた。
- 仕事納めの帰り、人気のなくなった交差点で信号待ちをしていると、「大陸から張り出した冬の高気圧が・・・」というラジオの天気予報が聞こえた。
なぜかその時に「季節の移り変わり」を実感し、この一年の疲れをどっと感じて力が抜けた。俺はこの一年、何をやっていたんだろう。
2019年1月~2019年3月
1月
- 退職意思を伝えるが、反論になっていない反論でもみ消される。退職時期を先に表明したのがマイナスに働いた。
- 家の事情という、第三者が反論しづらいような理由付けにしたが、やはりケチをつけられた。一筋縄ではいかない上司ばかりだと思っていたから、案の定で笑ってしまう。正しいことを正しく認められる人間だったら、こんな会社になっていないしな。そもそも。
2月
- 業務が回らなくなる。一部の記憶が完全に消えることが増えてきた。
- 鬱がひどくなる。車から乗り降りできなくなる。
- 社内イベントの幹事から降ろされるも、サポート役として続投。新任が時間泥棒かつ馬鹿でヘイトを溜める。
3月
- Kさん退職。おなじみの若手通中堅社員がまた去っていく。どうなってんだこの会社。
- 土曜出勤2回と検定試験で休日が消える
- 飲み会と後輩の結婚式に参加。忙しい月になったが、大学時代の人と会うことが多くて、元気を貰えた。
- 3月末の土日は、コンプラ違反をして仕事を進めざるを得なかった。
- ここまで冗長な振り返りをしてきたが、結局人が倒れた・辞めた・病んだという実績がないと会社は動かないということをようやく受け入れた。
- その中で自分ができる限りのことはした。人が足りないことを示す実績集めとして、仕事の可視化もしたし、証跡も残そうと努めた。それでも、残業上限がある中でそれらの仕事はどうしても後回しになる。そして、いつまでも人手不足である理由のファクトは集まらなくなり、説明するためのコストは各担当が背負い続けることになる。数年前より2倍も仕事が増えたこの会社で、いつまでも人が足りないことの証明を各担当に強いて、「言わなければ文句がないってことでしょ」というような態度の管理職の下では働き続ける気がしない。
- ついでに言うと、そんな環境で将来性は最悪なのだから、居続ける理由が知りたい。教えろよ。
振り返り、終わり。