140字では書けない

アラサー異常独身男性

会社文化へ適応するだけだったら高卒でもできる

断言口調のタイトル、浅黒いフリーランスブロガーが書きそうですね(該当人物がいるかは知りません)
こんな長文をよく金曜夜にスマホから打ち込んだと思う。どれだけ怨念が溜まってんのか…



入社して半年が過ぎた今、これまでになく会社が嫌になっている。
古い会社特有の体育会系コミュニケーションと、若手にまともな発言権がないトップダウン体制。
それらは夏までも経験していたはずなのに、入社半年を経てそれらに自覚的であろうとした結果メンタルが揺さぶられている。

楽になりたいなら、体育会系風土に慣れる努力をすればいい。
しかし、それに適応したら終わりだと思っている。普段は業務もあり本心を隠しているが、内心は適応を拒んでエネルギーを消耗している。

なぜか。

強烈トップダウン体制に適応するだけだったら、中学時代や高校時代の自分でもできたと思うからだ。
もっと踏み込んで言うなら、時代遅れの企業文化に適応するのは大学での学びや気づきを捨てることに等しく、大学で得たものを簡単に捨てたくないと思っているわけだから、適応なんか出来るはずがないのである。

秋になってから茨木のり子(詩人)の「自分の感受性くらい」を何度読み直したことか。
環境適応しきってしまうことに、私は心底怯えている。


トップダウン組織での従順性は運動部(陰キャラ多し)で先輩に小突かれながらやりきった中学時点でそこそこあったと思うし、高校時代は比喩でなく担任のトップダウン体制下でガリ勉していたので、
高卒で就職してれば環境適応は難しくなかっただろう。

大学で得た物事への見方やイデオロギーに自覚的になったことを死ぬまで「財産」と仰々しく抱えるつもりはない。
しかし、高校まで従順性しかなかった非力な自分にとっては、大学での学び・気づきが大学以前と以後の自分を異にする重大なファクターであることは疑う余地がない。

繰り返しになるが、時代遅れの企業文化に安易に適応するのは、
親の援助で過ごした大学時代での学びや気づき・感性をさっくり捨てるに等しいのだ。
それでいいのか?会社とはこういうもので済ませて、大学時代に学んだプロジェクトマネジメントや社会システム論などの
教科書的知識(実務者は鼻で笑うだろうが)を無にしていいのか?

企業文化への適応を批判的に捉えるつもりはない。
しかし、独りで死ぬ運命の人間が25歳で会社に殉ずることを決める意義なんか、今の時代にあるはずがないんだよ。どう考えても。


とにかく、今の自分のように環境に不平を言いながらも会社では黙って働く大卒になるために、親の進学援助があったとは思えない。
年収なんて低すぎなければどうでもよく思えてきた。真剣に環境を変える準備を整える。