140字では書けない

アラサー異常独身男性

何度も呟いてきたことのまとめ

同じような内容をSNSで呟いてきましたが、まとめたら長文になってしまいました。

気が滅入るような暗い話なので、精神的に疲れたくない人は注意してください。

 

就活のときの説明会で幹部社員のおじさんが「仕事でしんどいときに自分を踏みとどめてくれるものを見つけられれば、就活は成功なんじゃないかなっ。ははっ。」と偉そうに話していた。人によってそれが会社のブランドであり、仕事の社会的意義であったりする。
究極的には中学生からのキャリア選択から考えなければいけないような問いに、要領の悪い人間がとりあえずの答えを出すのは無理だ。無理なのに、要領が悪い奴なので考えてしまった。

 

「仕事で辛くなったとき、自分を踏みとどまらせる原動力は何か」
職業アイデンティティとなる仕事の公共性・社会的意義などを考えたが、ごく普通のサラリーマンになる私はそれが仕事を続ける理由となるほど立派なものか怪しいし、どちらかというとそれらを重荷に感じる人間だと思う(笑)
我ながら仕事をすぐ辞めそうな人間だと思うが、とりあえずは自分の生計のためと
「上司に怒られたくないから」というガキみたいな理由で初年度は仕事を覚えていかなきゃいけない。根拠はないが、自分の向上心(に似た強迫観念)の強さでなんとかやれるんじゃないかと内定後は思っていた。
 
 
 
「なんとかなる」という気持ちはある出来事で簡単に吹っ飛んだ。
去年の年末に用事があって母親と外出していたとき、駅付近で母親が倒れた。
持病があったので「これはまずい」と思って119通報をした。私は狼狽していたが、
その場にいた路線バスの職員や乗客の方からの協力を得て最低限の処置はできた。
救急搬送された先で「緊急手術する必要があり」と宣告され、15時間の手術をした。
難度の高い手術だったが成功し、その後色々あったものの現在は回復途上にあることは僥倖と言うべきだろう。
もし1人で出かけて倒れていたら、近くに病院のないエリアで倒れていたら、確実に助からなかった。
 
しかし、母親が倒れたことは自分の将来を考える上でショッキングな意味を持った。
母親と同じように、自分には致死性の病気で倒れるリスクがある(必ず死ぬわけではないが・・・)
この事実を直視したのは大学に入ってからだった。両親はそのことについて入学以前に深く説明はしなかったし、持病は認識していたが詳しく調べようとしなかった。考えてもどうにもならないと思い、考えないようにしていた。
 
今思えば、それらの事実をきちんと直視して人生設計をするべきだった。
高校受験での失敗と高校入学以降のストイックな生活。高校生活での経験は貴重なものだったと思っており、良くも悪くも現在まで物事への取り組み方や思想に結構な影響を与えている。悪い影響として、薄っぺらい負けん気だけでしか自分を駆動できないということが挙げられる。
今思えば挫折と言っていいのか微妙だが、受験での挫折から高校生活でのモチベーションが承認欲求を過度に含んだものになってしまい、進路選択においても薄っぺらい「向上心」や「負けず嫌い」を前面に出した選択をし続けてしまった。
要はブランド大学志向である。当時は真剣に考えていた"つもり"でしたが・・・
 
世界に一つだけの花」ではないが、 「もともと特別なオンリーワン」である自分を
きちんと直視すべきだった。「見返すため」に進路選択(或いは人生)があるわけではないのだから、「同世代の男より心身虚弱で、タフさが要求される仕事はできない」という自分の特性を踏まえた上でキャリア選択を積み重ねる必要があったのに、結局のところ変な方向に過剰なエネルギーを使ってしまった。
無理しない高校生活を送り、実家通学できる大学に行き、実家通勤できる平凡な仕事に就く。簡単ではないけれど、今まで費やしたエネルギーでそれに近い進路は実現できたはずだと思えてしまう。
母親が倒れてから迎えた正月、新聞では病気で休職した後にリストラされた人の特集が組まれていた。ひたすら自分の将来に悲観的になった。
セーフティネットは穴だらけで、権利を主張すれば煙たがられる未成熟社会でどうやって生きていけばいいのか。その問題意識も高校時代には十分持てたはずなのに、24歳にもなって自分の選択の責任転嫁をして逃げ出したくなる自分に腹が立つ。
 
 
「仕事で辛くなったとき、自分を踏みとどまらせる原動力は何か」
就活後、"普通の人"にとっては「何が何でも生計を立てて守らなければならない大切な人の存在」だろうと思いついた。古い家族観やマッチョな思想を暴露したような答えで恥ずかしいが、「ウチ」のための理由は「ソト」のための理由より生物的本能に根ざした強いものだろうとこじつけている。
 
私は"普通"じゃないから誰かを守る立場にはなれない。結婚は無理だろう。では仕事に生きるか?
「仕事ができるようになりたい」という向上心で最初は頑張れると思っていたが、それも母親が倒れたことで「仕事ができても突然離職する(死ぬ)可能性は人より高い」という恐怖が常にあるようになってしまった。
仕事と人生を同一視する考え方は昔から人々に一定の安定性を与えてくれたから残ってきたのではないか。
私はそういう安定性が持てない以上、替わりとなるコンセプトやライフスタイルを本などで見つけるか自分で作り出していかないと、 突然の病気で日常は簡単に崩れてどこまでも落ちていってしまう。
仕事をやりながら人生についてゆっくり考えることなんてスペックが低い私にはできるはずもないから、なんとか学生である春休みのうちに無限にある仕事と人生に関する本で引っかかる本を探って読む予定。