140字では書けない

もうすぐ4年目

ひとりの時間

1人になる時間が欲しい。
その時間が人より少し多く必要な人間だから、自分は他の人を戸惑わせてるのかもしれないと思うことが多いこの頃だ。

 

「社会性」「協調性」ってなんだって考え始める人間に天然ものの「社会性」はないかもしれん。
でも、自分は非協力的とかノリが悪い人間と評価されるのは心外だ。

このあとメシ食おうぜ!って授業の帰りに言われて、最初乗り気じゃなくても、いいぞ~といってそのうち乗り気になるくらいの適当さはある。

 

ただ、自分は1週間に1回はぼっち飯しないと心が休まらない。
引かれますかね?(汗

たまには1人になりたいってことあるでしょ?
その「たまに」が私には「週1~2」なんです。
月から金までいつもの友人と飯を食べるとか、なかなかきつい、って思ってしまう。これは友人が嫌いとかではなく。

 


有名予備校講師の林修先生が本でこれに関連するお話を書かれていた記憶がある。

いつも符牒の合う友人と話している人、場合によっては少し振り回されてると感じるようなグループにいつもいるくらいなら「孤独」になる勇気を持て。

とおっしゃっていた。

より突っ込んだ説明をすると、若い頃にいつも人といないと不安に感じる人も、孤独を経験することで年を取ったときに堂々と孤高の人として振舞えるのだ。孤独は人生に深みを与える・・・という旨のことを書かれていた(適当)

 

本ではそこで「ススメ」は終わりだったんだけど、じゃあ「ぼっち」が自然体
みたいな人間は逆に若い頃どうすべきなのかを林先生から教えてほしかったなとちょっぴり残念に思う。

想像だけれど、先生はそのような人間を肯定はしていないのではと思っている。

林先生やぼっち大好き人間は勇気を出して「孤独」になったのではなく、もとから一匹狼の素質が爆発して偏屈になったパターンではないか?
自然の流れにまかせて育った、アクの強い野菜みたいに。

あるがままだから、本人は何も苦しくない。勉強嫌いの子が勉強しないってのと同じかもしれない。
最初にちょっとぼっちの抵抗があるかもしれないけど、そこでぼっちに振り切れる人間はもともと才能がある←
流れやすい方向に流れた人間をストイックな先生が肯定は・・・しないですよねぇ。

 

孤独を楽しんでるつもりの人間と、孤独を嫌う人間の両方とも
居心地のいいところにいすぎてはダメなのかな。

 

ただ、こういう記事書いてると「みんなといっしょに動ける才能」がある人間が憎たらしく感じるw
「才能」を「才能」たらしめてるのは社会だ。でも社会が作り出す常識・価値基準は根拠がぐらっぐらで、時代と地域によって千差万別なんだから、そいつ自身の「形質」自体に価値なんかないと思って、悪い「才能」ばかりある自分を呪わないようにする。

根暗が賞賛される社会が夢に出てこないかな。

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