※長文です
今日のエントリーは受験ブログっぽいです
私は鋼の1浪再受験メンタルを持ってるので落ちても記事は更新しますしありがちな試験落ちて逃亡はしません。はい。
夏休みに入ってから基本情報技術者試験の学習をしてます。
もともと春休みの2月に本屋で参考書を買ったんですが、積ん読をかましました。
そして申し込んだ4月の試験はさっくり落ちました^^
お父さん受験料と本代無駄にして本当にごめんなさい・・・^^;
で、今日は実際にその勉強始めてみて感じたことを書きたいと思います^^
受験ブログ第一弾☆
【きっかけ】
2月のとき本を買ったのは私と同じ学科の優秀な人が大学に入ってから情報系の資格を
順調にステップアップして取得してるのを見て焦ったからです。
それ以外に特に明確な動機はなかったですね。資格の難易度をネットで調べても特に就職で優遇されるという話は見なかったし、同い年の就活生に聞いて同じ評判だったからね。
取っ掛かりは「焦り」でもなんでもよかったと思うんですが、勉強続けるとなると
それだけじゃつらかったです。僕が新しく覚える量が多いから一際苦しく感じるのを差し引いてもね。
毎日ちょびっとの内容をやるだけでも、嫌でも私のゴーストが囁くのです(冗談ですよ
・クソ暑いこの時期にこの行為をする「理由」は何か?
を嫌でも意識せざるを得なくなるんです。その時に、上で挙げたような「友達が賢くなってるのに自分はポンコツのままだという焦り」だけだとまだ動機が弱い。
でも、弱いなりに勉強はダラダラ続けてはいる。
これってなんか不思議だなと思ったわけです。なんでわざわざ苦行みたいなこと
を私は無心にやってるのか。
【僕の言い分】
ツイッターとかで何度も同じ学部の(大抵は優秀な)人が
大学教育とかについて語ってるのを何度も見てきたんだけど、
何度見ても納得できなかった。
曰く、本当にやりたいことやらないとその勉強は身につかないし、時間の無駄になると。
俺に言わせるとな、
やりたいことなんか、ねぇよボケ!!!甘ったれんなちんこ!!
「ここ」に来て、卒業するからには基礎的な知識は意欲とか関係なくやらされるものだろ??なぜそれが「意欲」の有無の話になる?
何も知らん中学生が意欲的に「解の公式」について詳しく知りたいと思うのか?
お前らはそんな風に「興味」「関心」「意欲」持ってたのかよって尋問して縛り上げたくなるわw
【僕の思想の源流】
えぇ~今一気にdisってしまいましたが、実はこれは嫉妬です。はい。
なんか上で話してるような人たちはつらい勉強でも根本的にはワクワクしながら動いてるから、自分にはそんなことできないなっていう嫉妬が私にはあります。
私は文体から染み出てるかもしれないですが知的好奇心が
あまり強くなく、ただ、現世利益がおそらく人よりやたら気になります。
大学の勉強・専攻=就職の手段
になってます。はい。上で挙げたような類の人からは「そんなんじゃ結局まともに身につかないよ」って言われてます。
大学の先生はそういう人が多いのかなって気がします。
現世利益を優先する人が大学に残るってあんま考えられないし。
色々葛藤はありつつも大学に残って研究を選んだ方が多いと思います。(企業から大学に移った方は別)
・知的好奇心もそんなにない
・特に義務感が強いほどまじめでもない
なのに、最初書いたようになんで私はわざわざ苦行みたいなこと
を無心にやってるのかをず~っと勉強の合間に考えてみたらふと思い当たることがありました。
それは、高校の黒板の「標語」です。私は高校のとき、同じ先生に3年間クラス担任
として監視面倒をみてもらいました。
私立の勉強コースみたいなクラスだったのでそういうことが可能だったんです。で、教室には後ろの黒板もあってそこに必要があったらいろいろ書くじゃないですか?
先生は後ろの黒板に次の標語を書いたんです。汚れたら書き直して。
「やらない理由を探すな。やる意義を見つけろ。」
私はずっと3年間この標語をチラチラ目にしてました。
これって今の自分がやる気ないつつもダラダラ勉強できたり、
上で書いたような「知的好奇心」ある同期の発言に反発したくなるような考えの源流になってるんじゃないかと思って気づいたときドキっとしました。
この標語そのものに影響を受けたというより、これを黒板に書くような先生と3年間
いたことが影響を及ぼしたんだと思う。
人間の考え方とかの大枠は20歳までには決まるとどこかで聞いたことがありますが、それを考えると大人の1年と高校生の1年では全く人格への影響力が違うのかもしれません。
現に、22歳になった僕はその思想をしみ込ませて考えたり、発言したりしてました。
その思想の源流があって、僕は人生をいい意味で変えることが出来たし、僕にとって先生は感謝してもしすぎることはないくらいの恩師なんです。
でも、今の自分はその思想に凝り固まってるんじゃないかと思い始めてます。
それは良くないことだけど、血と肉としてしみ込んだ考えだから簡単には変えれないかもしれない。
その先生が教えてくれた思想もそろそろ自分流にアレンジしないといけないかなと思った22歳の夏の夜でした。はい。