【○変量】
教員の中ではかなり好感度高い先生の授業であったのに、2年になってからは
他の科目で忙しくなった&授業時間が昼メシ後ということで幾度も授業中ウトウトしてしまった。
授業中置いてけぼりになることもあったが、講義と資料のプリントはいつものようにめっちゃ分かりやすかった。
たぶん先生の授業受けるのはこれで最後だったんだよな・・・とイマイチ力を入れて授業受けれなかったのが反省点です。
【第二外国語】
この先生の授業を受けるのはもう今回で3期目だった。
今回で外国語取るのは最後になるけど、今まで受けてきてなぜ居心地が良かった
のか考えて見ると、それは先生の授業スタンスが「教養科目」として徹底してたからだと気づいた
例えば、前のエントリーでdisりまくった理系教養授業だと、教養のくせに中間テストしたり、期末試験で筆記で大量の問題解かせたりしてた。
あんなのは知識チェックというより教員に対しての忠誠度のチェックじゃないかと思う
そういうことするのって、自分の授業の立ち位置が「選択」であることを認識していないか、確信犯的に無視しているかのどっちかだと思うんです。
そこで、話を戻して外国語の授業についてなんですが、
僕が1年半受けてきた先生は自分の立ち位置があくまで「脇役」ってのを
徹底してたんですよね。
外国語の先生の口癖は「覚えたい人は覚えてください」だった。
授業は最低限のことだけやったら「これは覚えたい人は覚えて」って言いながら
面白い言い回しとかその国の建築・有名人・料理を面白く紹介してくれた。
雑談した後に「興味あったら見てみてくださいね~あっ興味ないですかそうですか(察し)」って自虐もよく言ってたような。第二外国語が脇役であることを自覚されておられたのかなと思う。
結果として西班牙の文化に興味持って、特に料理については授業中によく紹介してくれたから、プライベートで同じ西班牙語取ってる友人と西班牙料理を食べに行ったり、
スペインバルを地元の友達と食べに行ったりもしましたね
ひたすらガッツリ専門科目みたいに教えられたら、スペインに興味持たなかったと思う。
どうせやる「教養」ならそれが一番いいのになって思いました。
俺が大学の教員になったら、教養科目はヌルゲーな授業をしたい。