この学部では逃れることのできない進路選択が差し迫っている。筆者はまだ希望コースを出していない。考えることに疲れ気味。(追記2/23 とりあえず決めました)
「ISかIDか」という問題で、自分の考えは半年以上振り子のように揺れ続けた(ぐらんぐらん)
揺れ続ける中、何かを決めることは何かを捨てること、という言葉を何度も思い出した。
「捨てる」ことが自分は同世代の人間と比べて苦手で、優柔不断でどうしようもないことを身にしみて感じた。この種の選択に正解というものがないのは誰でも分かっている。しかし動かなければどうしようもない。大体とる行動は以下のような感じになるんじゃないだろうか。
1.ある選択肢を選んだ場合の就職のリスクを出来る限り整理(無意識的にでもやってるかも)
2.そのリスクと向き合い、腹を括る(自己内省かっこわら)
この一連のエントリーでは自分のために、1の段階でのリスクを整理するつもり書く(筆者は材料があっても結論は出せてない)
【タテの比較】
就職で何が心配かというと、「自分たちの立ち位置」である。
人間性云々はともかく、同じ大学の学生のスタートラインがどこあるのか知りたい。優良企業にとって自分がいる学部の学生が、最初から相手にされていないのか、それとも相手にされているのか。
それは大学の「格」に左右されるし、その「格」は同世代の中で自分たちがどのくらいの位置の学力集団なのかで決まってくる。
今回、この項では同じ学校の「格」が過去と現在においてどのように変化したかについて注目する。
さて、以下の図はかなりざっくりした前提をもとにして作った。
前提1.社会の中での「地位」を高卒<大卒としている点
前提2.ある世代が受ける入試(1992年度の18歳だったら1993年度の大学入試)の大学進学者数がすべて現役で埋め尽くされたとした点
この点を踏まえて以下を読んで欲しい。
この図は偏差値50の大学生が同世代の中で上位何%の位置にいるのかをざっくり
考えるために作った。
それを考えるためにはまず大学進学者が同世代でどのくらいの割合を占めるのかを求める必要がある。
大学進学者の割合
1992年度の場合、大学進学率は以下のように求められる。
54万人(大学進学者数)÷205(1992年度の18歳人口)=0.2634
大学進学率は26%となった。ここでは座標上で分かりやすいように25%として表した。以下、大学進学者は25%として計算する。
まとめ
1992年度の18歳の世代で大学進学者は同世代の中で上位25%の中にいる。
大学生の中での位置
次に大学生の中で偏差値50は同世代の中ではどの位置にいるかというと、上位25%の真ん中にいるから、25÷2=12.5%
上位12.5%のなかに少なくとも入っている計算となる。
【まとめ】
偏差値50の大学生は同世代の中で上位何%の中に存在するのか
A.1992年度では上位12.5%の中に存在する
Q.で、何が言いたいの?
A. 平成23年度に大学進学率は50%を超えた。この場合の偏差値50の大学生は
同世代の中で上位25%以内に少なくとも含まれることになる。
相対的位置が、上位12.5%(1992)から上位25%(2011)までに低下していることになる。
これはどういうことを意味するか。
大昔に「大卒」だからこそ就職が出来ていたような無能が、現在では就職が決まらないということだ。大学生の裾野が増えた分、本当の実力(コミュ力、リーダーシップ等)の面でシビアに競争が展開されるということになってしまった。